2013-11-02

細菌学の特別講義 (第七限目)

11. 失敗の日々は容赦なく
 はるばるバンクーバーからボルチモアにきて感染実験を行ったが,ウサギに下痢を起こすはずであった腸管病原性大腸菌は,まったく下痢を起こすことはなく,私の実験は失敗に終わった。
 当初の研究期間は1ヶ月であったが,「実験がうまくいくまではラボへは戻らない」と,カナダのボスにメールを送ってさらに滞在することにした。
 我々が使用していた株は,ボルチモアから譲り受けたものであった。このボルチモア株がウサギに下痢を起こすという彼らの論文は,虚偽であったのだろうか。。。
 私はこのボルチモア株を親株として,III型分泌装置の欠損株を作製しており,親株に病原性がないのでは研究にならない。留学での貴重な1年が水泡に帰すことを意味していた。

12. この時点では何もわからないこと
 私はとんだ偽物をつかまされたと怒り心頭であった。
 その怒りはボルチモアでの滞在が長引くにつれて増大していった。しかし後の解析で,北米のウサギはかなりの頻度で腸管病原性大腸菌のボルチモア株(あるいは類縁株)に汚染されていることが解ったのである。ようするに,ウサギは既にこの菌株に対して免疫を獲得していたのである。さらに,Segmented filamentous bacteriaの存在が,感染実験に大きく影響した。しかし,ボルチモアにいた時点ではそのようなことを知るすべもなく,培養条件や菌数を変えたり,あらゆることを試したが全てうまくいかなかった。

13. 敗北の日々
 ジイさん連中に混じって赤いジャケットまで着たのに,何故うまくいかないのか。。。そのような憂さをはらすべく,ポスドクのDと夜ごとバーにでかけた。バーボンをビールで流し込んで,ビリヤードで遊んだ。ジュークボックスから流れる音楽は,いつもDの好きなAC/DCだった。

「あなたたちは私たちを殺す気なの?」

と,かなりきつい口調で典型的なアメリカ女性に言われたことがあった。私も彼女と同意見であったが,Dはいっこうに気にする様子もなかった。万事がこんな感じであったが,この街は危険なので遊べる場所はかなり限定されていた。
 それでも一度,フェルズポイントというところまで足をのばして,バーをハシゴした。2人ともかなり酔っ払って適当なバーに入ろうとしたところで,セキュリティーに制止された。
 はっきりとした口調で「おまえら,ここに何をしに来たのだ.....(あとは人種差別的なオンパレードが続きます)」と,怒気を含んだ声で,詰め寄られた。
 一気に酔いが醒めたが,明らかに間違った場所に行き着いたのだと思う。それでも撃たれる危険性のあるイースト地区を歩いて帰るわけにはいかなかった。寒空のなか,ようやくタクシーを捕まえて住み慣れたダウンタウンに戻った。
 腹がすいたので,そして正気を取り戻すべく,Dとハンバーガーショップに入った。Dはハンバーガーに添えられていたフライドポテトにグレイビーソースをかけようとしたが,かけたのは蜂蜜であった。

「Dよ,おまえは蜂蜜をかけているぜ」

というと

「俺は蜂蜜も好きなんだ」

と,わけのわからない答えが返ってきた。毎日がこんな感じであった。今日が何曜日であるのかもわからない。サマータイムになったのも知らない。

 どうやってこの状態からリカバリーするのか全く見えないままに,アルコールも抜けきれないまま,敗北感を抱きながらバンクーバーに戻った。